― ネットワークと躯体が融合した「動的増殖」の狂気 ―
今回扱うのは、弐瓶勉氏の代表作『BLAME!』。
人類がほぼ消えた超巨大構造体の中を、主人公キリイがひたすら上層を目指して進んでいく――
ストーリーとしてはかなりシンプルなんですが、その背景にある“構造物”の密度が圧倒的です。
弐瓶氏の描く構造体って、まずスケールに目がいきます。
とにかく大きい。
垂直方向に積層し続けて、どこまで行っても終わらない。
ただ、読み進めていくと、気になってくるのは大きさそのものよりも「どう成立しているのか」という部分です。
この躯体はどんな構成で立っているのか。
この配線や通路は、どういう理屈で機能しているのか。
そういう、実務に近いところで引っかかる。
弐瓶氏が現場監督の経験を持っていると知ると、その引っかかりに少し納得がいきます。
構造とインフラがきれいに分離されていない感じや、配線・通路が「描かれている」のではなく「そこに存在している前提」で置かれている感じ。
設計の視点で見ていると、このあたりから単なる背景ではなくなってくる。
スケールの話ではなく、「どう作られているか」の話として見えてくるんです。
■ 考察ポイント
・インフラと躯体の融合|「器」という概念の崩壊
通常の建築では、躯体とインフラは明確に分離されます。
構造体があり、その中に設備や配線が納まる。
そこには必ず「納まり」と「取り合い」が発生する。
でも弐瓶氏の作品では、その前提が最初から成立していない。
配線・構造・通路が剥き出しのまま連続していて、それでも破綻せず機能している。
これは雑に見えて、実際は逆で、最初から分離していないだけなんだと思います。
つまり、
躯体=インフラ=ネットワーク。
建築が何かを包む“器”ではなく、それ自体が都市機能になっている状態です。
現場の感覚でいうと、本来いちばん難しいはずの「設備と構造の干渉」が存在しない。
この割り切り方が、この世界の異様な強度につながっているように見えます。
・地球規模の積層構造|垂直性と分節された躯体
次に、この構造の垂直性。
数百キロ単位の吹き抜けや、終わりの見えない積層。
通常の構造計算では成立しないスケールです。
ただ、全体を一つの構造体として見ないと考えると、少し見え方が変わります。
巨大な躯体がひとつあるのではなく、
独立した構造単位が縦方向に接続されている。
いわば、分節された巨大構造の積層です。
この考え方だと、局所ごとの整合性は保たれる。
ヒューマンスケールからは逸脱しているのに、なぜか「存在できる空間」として感じられるのは、この分節構造によって局所的なスケールが維持されているからだと思います。
現場的には、「一体で作っていない」構造。
その感覚が、妙にリアルです。
・動的増殖|設計図なき工事の継続
この世界を特徴づけているのが、制御を失った建設による増殖です。
設計図も、都市計画もなく、
ただ建設行為だけが継続している。
現場で考えると、これはかなり特殊な状態です。
本来はどこかで区切りがあり、完成があり、次の工程に移る。
その“止める判断”があることで、全体の整合性が保たれる。
それがない。
結果として、動線計画は崩れ、構造は継ぎ足され、空間は際限なく増えていく。
ただ、それでも完全には破綻していない。
部分的には成立しているから、次に進めてしまう。
全体は無秩序でも、局所では整合している。
この状態が続くことで、あの終わりのない積層が生まれているように見えます。
■ 結論
弐瓶氏の描く巨大構造は、スケールの大きさだけで語れるものではありません。
躯体とインフラが分離せず、
それが継ぎ足されながら増殖し続ける。
設計という行為が弱まり、施工の連続だけが残ったような状態です。
現実には成立しない部分も多い。
でも、完全に断絶しているわけでもない。
現場の感覚を知っていると、その“ギリギリのライン”に妙な説得力が出てくる。
だからこそ、あの空間には強い実存感がある。
終わらない構造、止まらない工事、積み重なり続ける都市。
その異様さと同時に、どこか現実の延長にも感じてしまうところが、この作品の魅力だと思います。
■ この構造を“読み直す”という体験
ここまで見てくると、弐瓶氏の作品ってストーリーを追うだけだともったいないんですよね。
むしろ、2回目以降のほうが面白い。
「あ、この躯体こうつながってるのか」
「この配線、ちゃんと意味あったんだな」
そういう“構造の読み直し”ができるようになると、一気に見え方が変わります。
特に『BLAME!』は、セリフが少ない分、空間そのものを読む作品なので、じっくり追う価値がかなり高いです。
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※電子版はディテール(配線・構造の描き込み)を追うのにかなり向いています
■ ひとこと
こういう作品って、一度読んで終わりじゃなくて、
“何度も潜っていくタイプの建築”だと思うんです。
見るたびに構造の見え方が変わるし、
そのたびに「つくる」という行為の重さを感じる。
物語というより、空間そのものを体験する感覚に近い。
だからこそ、手元に置いておきたくなる作品です。
次回、
**「静止した廃墟・ウスズミの果て編」**へ。
